最近の若い者は素晴らしい!(その13)

 新しい年神様を迎えられ、皆様、気ぜわしくも充実した毎日を始められたことと拝察いたしております。

 年が新しくなっても、世界中では、相も変わらず、世界の市場及び政治の寡占を狙うスーパーエリート達が操作する偏った情報があふれ、我国においてもグローバリズム、リベラリズム、経済破綻論そして敗戦利得者が固持してきた戦後レジームを擁護し称える情報で溢れかえっており、『このままでは遠くない将来に美しい日本と日本人の過去~現在~未来の連続が途切れてしまうのではないか。』と不安で我が身の非力さを痛感する昨今ですが、最近、ちょっと嬉しくなる光景を目にしましたので紹介します。

 一つ目は、愁伯の自宅近くの信号のない三叉路での風景です。その三差路は所謂生活道路から大きな四車線道路に合流する地点にあり、優先道路は当然、四車線道路ですから生活道路から進入する車両は停止線のところで一旦停止しなければなりません。しかも、停止線の位置からは四車線道路に並走する歩道に対する視界が不良なためその車両は一旦停止したのち左右を確認して更に少しだけ進んで歩道の状況を確認してからでないと優先道路への進入は危険なのです。愁伯はその三差路を頻繁に利用するのですが、その三差路にある横断歩道を通行する人たちは曜日と時間帯によって様々です。そんな中、最近、小・中学生の清々しい行動を見かけることが多くなりました。

 三叉路に進入しようとする車両は停車線の手前で停車し左右を確認した際に、横断歩道を通行するであろうと思われる歩行者や自転車を視認すると、当然、歩行者等が横断歩道を通過するまで、確認した地点で停車したまま進入を見合わせるのですが、その通行人である小・中学生が心優しい行動をとってくれるのです。停車車両のドライバーである愁伯の目を見てにっこりとお辞儀をし、速足や駆け足をして横断歩道を渡り、渡り終えた後にまた愁伯のほうに振り返り、「ありがとうございました。」とお辞儀をしてくれるのです。その光景を目にすると、『やはり、まだまだ日本は捨てたものではないな。特に今の若い人は素晴らしいな。だから、私も頑張らなくちゃいけない。』とほっこりと嬉しくなります。現役中、しかも所謂田舎の地方で勤務していた頃に時折目にした光景でしたが、少し前までは三叉路の横断歩道を偉そうに悠々と歩く大人の様子しか思い浮かばない治安の悪さで有名な政令指定都市でも、最近ではそのような光景を描いてくれる小・中学生が戻ってきてくれたということにとっても感慨深いものもあります。皆様の近くでも同じ様な光景を目にすることがあるでしょう。ほっこりしませんか。

 二つ目は、新年の初詣での光景です。愁伯家族は元旦の午後から半日かけて三社参りをするのですが、いずれの神社も当然ながら混雑しており、拝殿するまで長蛇の列で長時間並びます。並んでいる間は、孫達と楽しくお喋りしながら、前の人に従って参道を歩いて行くのですが、その途中、いつもと同じように鳥居をくぐる際にお辞儀をして手水舎で手口を漱ぎます。そこで、ふと気が付いたことがありました。それは、長蛇の列が参道の真中を避けるようにして出来ていることです。以前では、我先に行きたいのか、参道の全面を塞ぐように拝殿までの列ができていたのですが、今では、参拝者の皆さんが『そこは神様の通り道だから開けておかなければなりません。』ということを自覚し実行されているということなのです。少し前までは、泥酔状態の参拝者や反社会的な雰囲気を醸し出して周囲を威圧するような参拝者を含め、日本人としての常識を忘れてしまった参拝者が参道の中央を占有していることを全く気にすることなくしかも騒がしく並んでいる様子が普通だったため、気の弱そうな一般人の参拝者の前に横入りすることが少なくなったことにさえ少しの安堵を覚えたものですが、今では、皆さん落ち着いて参道の片側に列を作り並んでいるのです。『治安の悪い政令指定都市でも漸く社稷を思う常識ある日本人が戻ってきたのだ。まだまだ、捨てたものではないな。最近の若い者はやはり素晴らしいな。』と嬉しくなりました。皆様の近くでも、見かけることがありませんか。

 これからの国際情勢の健全化に比し困惑混沌を深める国内情勢、そして大患難と大峠・大洗濯を迎える時代に思いを致すと、『どうせ自分の力ではどうにかなるものではないのだから、なるようになるしかない。』と諦め自分達の我儘な幸福追求に流れてしまいそうですが、このような最近の若い人たちの素晴らしい行動を目にすると、『その大災難の後に生きてゆかなければならない若い人たちの魂修行の場として、この美しい日本と日本人を守り繋いでいくことはやはり絶対に必要だな。』と、一株の草莽ながら、思いを新たにしております。

 頑張っていきましょうね。

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