昨年から引き続き今年も大変な紛争や災害が日本を含め世界各地で起きていますが、しっかり対応してほしいと改めて思います。
さて、新春には恒例の年賀状が届きますが、皆さんには、所謂友人はたくさんおられますか?
「学校では友達を作りましょう。」「友達を大切にしましょう。」と言われてきたと思いますが、愁伯は、いただいている年賀状から言っても、今でも交流が続いている義務教育時代の所謂友人は中学の時の二人しかいません(一人は伴侶ですが)。年賀状の宛名は社会人になってからお世話になった知人の方が殆どなのです。
ですから、義務教育時代に所謂友人作りに焦ることはないと思います。甲本ヒロさんが言っていたように、「社会に出ていくための練習の一つだ。」くらいに考えていて良いのではないでしょうか。『走れメロス』のメロスとセリヌンティウスのような関係を築くように教えられるかもしれませんが、彼らも義務教育を超えた青年なのです。「自分の命をかけることができるものは何か?」という問いに答えられるような自分なりの価値観、人生観ができていなければ彼らのような行動はできないでしょう? だから、義務教育の間から友人を作ことに焦る必要はないのです。
愁伯は、社会人になってさえも「友人とはどんな人か?何人いるか?」と真剣に問われたら正しく明瞭に答えられるかどうか分からないままでいました。仕事やクラブ仲間で親睦を深めるためやストレス解消のための所謂飲み友はそれぞれのところでたくさんできますが、部署や場所が変わると疎遠になってしまいます。お世話になった人は沢山いるのですが、それは友人とは言えないまだ知人の間柄で、年賀状を出し続けたいと思う人、「ずっと親しくしたい人」はそれ程多くはないのです。
では、ずっと親しくしたい人はどんな人かと言うと、これまでの人生で苦楽を共有した中で、心の底から「信頼できると確信した人」と「尊敬する人」です。
「信頼できると確信した人」とは、苦楽を共にする中でそれぞれが果たすべき役割をしっかりと自覚しあらゆる困難を克服して最後まで責任をもってやり遂げしかも期待以上の成果を出してくれる人のことです。このことを相互に感じることができれば、きっと友人なのだと思います。
「尊敬する人」とは、実力があり人徳に優れている方で、自分の識能・資質を理解した上で仕事を任せてくださり、その仕事を通じて自分の識能・資質を更に向上させてくれる人です。
これら二つのカテゴリーに入る方々が多ければ多いほど人生は充実し豊かになるとは思いますがそんなに多くはおられません。むしろ、できたのならば幸せに思うべきことなのかもしれません。年齢的には、後者は自分より年配の方が多いのは事実ですがいずれとも同年齢の方や年少の方もおられます。因みに、愁伯には、どちらにも団塊の世代の方はいないということです。
年齢を重ねるにつれ年賀状を出すのもいただくのも数が減ってきますが、沢山の世話になった方々からこの二つのカテゴリーに入る方々に自然と絞られてきているような気がします。最後はきっと、親戚以外は、この二つのカテゴリー「信頼できると確信した人」と「尊敬する人」に入る方々の中で、最も大切に思う方々になってしまうのでしょうね。
だから、義務教育の間から、定義もよく分からない友人の有無について悩む必要は全くないのです。
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