今の世の中、教育とは学校で教えてもらうことだと一般的に認識されているように思えますが、はたしてそれで良いのでしょうか。
その昔、学校というものが無かった時代は、教育はどうやって行われていたかというと、仕事に必要なものは、現場における所謂師弟教育や徒弟教育の形態で実践陶冶させることで行われ、その社会に暮らす人として必要な風習や習慣、大切にする歴史、文化、伝統、更に郷土そのものに関するものは、その集団の長もしくは年長者達が若い人たちや子供たちに口伝し実践陶冶させることで行われてきたと思っています。それらの中で、どの集団にも生活していく上で共通して必要な所謂”読み””書き””そろばん”は、集めて一緒に教えることが効率的であることから所謂寺子屋的学校が始まり、今に続いているのだと思います。
しかしながら、教育の本質は実践陶冶であり、教える側がいくら十分な教育の施設で上手に教えても、教えられる側がその必要性を感じず身に着けようと行動しなかったのならば、また行動しても理解できなかったのならば、更に行動しても全く出来なかったのならば、その教育の目的・目標は達成できることはありません。反対に言えば、十分な教育施設ではなくとも、上手に教えてもらえなくても、教える側の情熱を感じ、教育の必要性を認識し、自ら実践陶冶に努め反復しているうちに、理解し、行動できるようになったのならば、その教育の目的もしくは目標は達成できたと言えます。
ということは、教育は学校でしかできないというものではないということです。否、教育の本質を理解していないために、学校教育に教育の全てを委ねてしまっていることこそ問題なのです。学校教育とは、所謂”読み””書き””そろばん”を、集めて一緒に効率的に教えているところなのですから、仕事に必要なものやその社会に暮らす人として必要な風習や習慣、大切にする歴史、文化、伝統、更に郷土そのものに関するものは、携わったことのある人以上に上手にあるいは深く教えることは出来ないのです。(時々、これを深く認識できないで自分が一番偉いと間違っている困った教育者が見られますが。)
つまり、これらに携わったことがある方々から、”読み””書き””そろばん”を含めて教育を受けることができれば、学校に行かねばならないということはないということです。
でも、これらを教えることができる人を簡単に見つけられるかどうかという問題は残りますよね。”読み””書き””そろばん”だけなら、私塾がすぐ思い出されますが。
仕事に必要なもののうち、特異なもの、所謂プロの領域はその道の有識者に教わる必要がありますが、共通的なあるいは基盤的な事項や社会に暮らす人として必要な風習や習慣、大切にする歴史、文化、伝統、更に郷土そのものに関するものは、人として誠実に修養を重ねて来られた人であれば、どなたでもできるのではないでしょうか。近くにいるはずです。
まず、一番の適任者は父母でしょう。しかしながら、年齢的に若く、仕事をしながら子供たちと一緒に生活していくことで互いに成長している関係なので、”読み””書き””そろばん”と社会に暮らす人として必要なもの初歩的なものが担任すべき中心でしょう。そして、それ以上の幅広く深い内容は修養の期間が長い祖父母が担任するのが自然ではないでしょうか。
ですから、大東亜戦争以前までの家族のように所謂祖父母、父母、子供たちが一緒に暮らす大家族が適していたのです。当時は、決して裕福ではないにしろ、子供たちひとりまで役割が与えられ、それを果たすことで、認められて、自信をもって生活することができ、更に、その中で祖父母や父母等からたくさんのことを教わり、習得し、社会に暮らす一人の人間として必要な基礎を身に着けることができたのです。そして、社会に出ても胸を張って活躍することができたのです。
我国が経済的に反映するためには核家族の増加による消費の拡大が重要ですが、日本人の価値観を陶冶する上では祖父母と一緒に暮らせる家族があることがとっても大切で重要なのです。
皆さんは、祖父母と一緒に暮らしていますか、もしくはすぐ近くに住んでその教えを習得していますか、最悪でも時折祖父母の話に耳を傾けていますか?
できているのなら、学校教育に束縛される必要はありませんよ。
単身赴任が長かった三人の子供がいた愁伯の自宅は、妻の御両親のすぐ近くに構えましたので最悪の状況ではなかったと思いたいのですが。
今は、祖父としての役割を果たしたいと思っています。
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