今年も8月15日の終戦記念日がやってきました。今年は、初めて、中学生と高学年小学年の孫たちを連れて、県の護国神社にお参りに行ってきました。孫たちが、学校で習う社会科教育の内容以外にもいろんな真実があることを理解できるようになったからです。
護国神社の周辺有料駐車場は、戦没者追悼式に招待された人たちの車で一杯になるらしく一般人の車の入場は断られましたが、すぐ近くの有料パーキングを見つけて車を止め、酷暑の中を少し遠回りになりますが参道から境内に向かいました。この日の前後の期間、夕方から夜にかけて「お盆みたままつり」が催されており、たくさんの提灯が飾られ夜店が並びますが、戦没者追悼式の時間帯にはこれらはいったん閉店して弔意を表しておられました。
喪服をめされた御高齢の方々が駐車場の大型バスから歩いて参拝されていましたが、その他にも平服ながら少なからずの若者やご家族連れの方々が拝殿され手を合わせておられるのを拝見いたし、その光景に愁伯は、『日本はまだまだ捨てたものではない。すばらしい若い人がこんなにたくさんおられる。』と不謹慎ながら感激してしまいました。孫たちと並んで同じように手を合わせた愁伯は、「自存自衛と東亜の共存共栄」のために命を懸けて戦ってくださった先人達のお陰で我国が今も日本として続いていることに深甚なる哀悼の誠を捧げるとともにそのために自分たちがこれからも続けなければならないことを微力ながらも尽力することをお誓いいたしました。
一方、この前日、パリ五輪から帰国された早田ひなさんが、「何をしたいか?」という質問に対し、「アンパンマンミュージアム。あとは鹿児島の特攻資料館(知覧特攻平和会館)に行きたい。生きていること、卓球ができているのは当たり前じゃないのを感じたい。」という趣旨のことを答えられたことを皆さんも鮮明に記憶しておられると思います。その後、大手マスコミからは、この発言に対するCHINAや反日左翼の人たちのいつもと同じステレオタイプ的な批判と、早田ひなさんの発言を感謝する人々に対する批判しか聞こえてきませんが、愁伯は歴史の変換点が訪れたような気がしてうれしくてたまりませんでした。早田ひなさんは、発言後にどのような批判を受けることになるのかを何も予想できなかったはずはありません。卓球を通して世界中を訪れる中で、いろいろな人々や地域と出会い、いろんな知識や経験を重ねていく内に、素直に育まれた感情なのだと思います。だから、それを発信して批判されることに何も気後れすることがないのです。自分の保身と自己利益のために、批判を恐れて、自分の素直な思いや考えを口にせず、それどころか批判者を迎合するような態度をとって来たくだらない大人たちに鉄槌を下したとも思えてきました。
声を大にして言います。「早田ひなさん、本当によく言ってくれました。あなたはメダリストという郷土の誇りというだけではなく、今や日本人の誇りです。」と
早田ひなさんに続く、若者が増えてくれることを信じて期待しています。
そう言えば、タレントのほんこんさんがユーチューブで早田ひなさんを大絶賛されていました。
どうです? やはり、最近の若い人は素晴らしですよね!
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