自分への投資!

 愁伯が現場のリーダーとして懸命に奮闘していた頃、3ランク上の上司が全員に対して、「少にして学べば壮にして為すこと有り。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず。」という名言を紹介しながら、「自分が自由にできるお金は全てを娯楽のために使うのではなく、少なくともその1割は将来の自分のために投資に回しなさい。」という指導をよく全体朝礼等でされていました。

 この名言は、儒者:佐藤一斎先生(江戸末期の儒学者で、70歳頃から昌平坂学問所の儒官となり88歳に逝去されるまで、そこでの学問と教育を支えた人物)の書『言志四録』(全四巻1133条)のその第42にある言葉で、その意味は、「青少年時代に学べば、壮年になって為すことがある。壮年時代に学べば、老年になって気力が衰えない。老年時代に学べば、死んでもその人望は朽ちない。」というものです。私が敬愛する西郷隆盛が自ら編纂し生涯にわたって心の糧として携えていた「南洲手抄言志録」にも記述されています。

 ですから、その上司は、若者に理解容易な投資という言葉を利用して、「人たるもの、生涯、自学研鑽に努めなければなりません。」ということを指導してくださっていたのです。

 何を学ぶべきかを言明することはできませんが、目的・目標が明確ではない人でも自分が興味のあることから始めて手当たり次第に知識を集めていけばよいのです。するとやがて、自分が極めたい対象や自分の果たすべき役割とその目標について認識できるようになります。そして、そのためには自分が何をしなければならないのかを理解し自然と努力を傾注していきます。

 愁伯も、微力で及ばずながら、その途中結果として、「現在の不誠実で不甲斐ない日本政府及び官僚と社会通念であふれてしまったのは、グローバル無国籍勢力に操られた共産主義者による戦前からの革命の追求が、敗戦後のGHQによる自虐史観醸成政策期間に留まらず、頓挫している暴力革命から日教組を含む教育機関及び大手マスコミによる教育及び言論閉鎖による革命の達成という非暴力革命に方向が変換されて、それが現在まで継続されて来たため、今や日本人としての自信と誇りを喪失させるという革命の中間目標をほとんど達成してしまっている。」ということを確信することができるようになったと言えます。

 このようにグローバル無国籍勢力の計画が殆ど成就しそうになっている世界及び日本国内の状況を見渡すと何とも情けなく心細い悲しい気持ちでやりきれなくなりそうですが、日本にも1%は覚醒した人々がいることに意を強くして、更には米国では35%の覚醒者がトランプ氏の指示を掲げていることに力を得て、「挫けてはならない!」と思う今日この頃です。

 ところで、宮崎市には今も八紘一宇の塔がありますが、日本人が大東亜戦争で掲げたこの八紘一宇という考えは、グローバル無国籍勢力が第一次大戦後の国際連盟設立時頃から発信してきたNMO(ニューワールドオーダー)という考えとは全く違っていることを理解しておかなければなりません。八紘一宇とは世界中の5族がそれぞれの違いを認め合ったうえで一つの屋根の下で生活する家族のように生存して行くことを願う考えであり、NWOとは国境をなくし歴史も文化の違いもなくしたボーダーレスの地球でスマホという玩具を与えられ単なる生産と消費だけに終始する地球市民をほんの一握りの超富裕層が支配する秩序を創るという考えです。

 米国人の35%はNWOについて理解していており、理解しているからこそ、「フェイクニュース!」、「ディープステイト!」、「グローバリスト!」等、グローバル無国籍勢力が主導する大手マスコミの報道に対して明確な反対の声を上げ、米国国民のために「メイク アメリカ グレイト アゲイン!」を唱えるトランプ氏を応援しているのです。そして、初代天皇である神武天皇が宣われたこの「八紘一宇」の世界には、この『メイク 〇〇 グレイト アゲイン!』を唱える国々が平和に豊かに共存するのです。

 日本の本当の歴史にほんの少しだけ目を向けただけで日本人としての誇りと役割あるいは使命を感じられると思いませんか。大東亜戦争前の日本では、日本人として当然の歴史、文化、道徳、日本語に関する当たり前の教育が行われていました。

共 産主義者が支配する日教組をはじめとする教育機関は、これらの戦前の素晴らしき美しき日本をすべて悪だと否定して、GHQの占領政策に隠れて、日本人としての誇りと自信を喪失させる教育を始め、以降70年間も続けてきたのです。これらの教育を信じて疑わなかった、否、利用する人々が今日本の各界で安穏を貪っているのです。

 この呪縛から日本人一人一人が解かれて覚醒し、そもそも有すべき誇りと自信を取り戻して欲しいものです。そのために、これからも「老いて学べば死して朽ちず。」を励みに自分への投資を続け、「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。」(この文章もまた、西郷の手抄言志四録に挿入されており、その意味は「暗い夜道を歩く時一張の提灯をさげて行くならば、如何に暗くとも心配しなくてよい。ただその一つの提灯を頼りにして進むだけでよい。」ということです。)の心意気でまだまだ生きて行きたいと思っています。

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