大人の当然の使命!

 小学校から高校までの所謂学校における“いじめの問題”をマスコミが取り上げない日は無くなりません。悲しいですよね。

 その問題の一つ一つにおいて、いじめを苦にする生徒さんは、大小の差はあるものの、必死になって痛いほどのサインを周囲に伝えているのですが、他方周囲の大人、特に教師、部活の指導者、教育委員会そして警察等は、無関心あるいは面倒なことに関わりたくないという逃避の気持ちから、不十分、不適切、アンタイムリーな対応をとってしまっているなと思われる状況を大変多く見かけます。こういった大人達がいなくならない限り、残念ながら、この問題は無くならないでしょうね。

 自分の職責に対する使命感をもっていない大人が増えたということではないでしょうか。度々言いますが、かつて台湾が日本国の一部だった頃、その統治にあたった人だけではなく、日本からやって来た一介の教師、警官、技術者等がまさに使命観をもってその職責を完遂してくださいました。そのことを未だに覚えているからこそ台湾の方々は、日本で大災害が起きると逸早い救助隊(東日本大震災の時当時の政府(現野党)はこれを恥ずかしながら拒みました。)や大きな支援金を恩返しの気持ちで送ってくれているのです。更に、世界で最先端の半導体を生産するTSMCの工場を米国に続いて日本の九州に建設し、日本の雇用の増大と経済力の向上に大きく寄与してくれているのです。

 仕事とは、好き嫌いに関わらず、その役割に応じて任された事なので、しっかりとやらなくてはならないのです。そうしない人は先ずもって仕事をする資格が無いのです。むしろ、使命感(遣わされた命を意気に感じることと愁伯は勝手に思っています。)をもってやり遂げなくてはならないのです。更に、使命観(命の使い方に関する諦観だと愁伯は勝手に思っています。)を持つに至れば必ず完遂しなければならなくなるのです。今でも台湾で顕彰されている一介の日本人の方々はまさにそうされたのです。今の日本でもそのような大人で溢れて欲しいものです。そうなれば、いじめの問題は悲しい結末を迎えることは絶対に無くなります。

 しかしながら、戦後教育に染められて個人主義と唯物史観に囚われてしまった今の日本人の少なからずの大人がその感覚を失っていますから、いじめの問題において、周囲の全ての大人、特に教師、部活の指導者、教育委員会そして警察等の全員が、使命感をもって仕事をしてくれることに期待を持つことは無理だということです。勿論、立派な方々も居られます。愁伯の孫たちが通う小中学校の担任の先生達は、忙しい業務の傍ら、毎日連絡帳を通じて本人及びその親と意思疎通を図って身情を把握るとともに問題が生じた場合はすぐにその対策を提案して心情の安定に努め、それらの対策を実行してくれます。担任の先生に限界がある場合は教頭先生や校長先生が対応してくださいます。しかしながらが、近くに居られない場合、そのような方々を探し出している間に気を逸するかもしれません。一方、機を逸しないように急いで周囲に協力を求めても、関心を示さないばかりか、いじめに加担するよう愚かな大人に出くわすこともしばしばです。

 だから、一番身近にいる大人が親としての使命を果たすことの方がより重要なのではないかと思います。否、それこそが今の世の中ではいじめ問題解決の近道、否、本道なのではないでしょうか。

 最愛の子供たちの所作に関心を持ち、言うことに真剣に耳を傾け、それを信じて気持ちに寄り添い、そして、子供たちの居心地の良い環境を作り提供し、伸び伸びと成長することを支援することこそ等が大切なのです。

 忙しい生活を送る中、とっても大変なことだとは思いますが、大人として果たすべき当然の使命なのではないでしょうか。

 愁伯の周りには実践されている方がおられますよ。

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